ごあいさつ
Do not fail to write down your first impressions as soon as possible,’ said a kind English professor [Basil Hall Chamberlain: PREPARATOR’S NOTE] whom I had the pleasure of meeting soon after my arrival in Japan: ‘they are evanescent, you know; they will never come to you again, once they have faded out; and yet of all the strange sensations you may receive in this country you will feel none so charming as these.’ I am trying now to reproduce them from the hasty notes of the time, and find that they were even more fugitive than charming; something has evaporated from all my recollections of them?something impossible to recall.
日本に着いて間もなく出逢つた親切な英國人の教授が、『是非とも成るべく早く第一印象を書いておきなさい。すぐ散つて了ひますから。一度消えたが最後、また心に浮かびませんよ。しかもこの國で、いろいろ奇異な感に打たれなさるでせうが、最初の印象ほど魅惑を與へるものはありますまい』と告げて呉れた。私は今當時の急いだ手控に據つて、第一印象を寫し出さうとしてみると、魅惑的と云はんよりは寧ろ漠として捕捉し難い方で、何か一種の思ひ出せないものが、追憶の中から雲消霧散したことがわかる。(Hearn, Lafcadio, 1894, 落合貞三郎訳, 1926, 小泉八雲全集第3巻/知られぬ日本の面影 上 /第一章 私の極東に於ける第一日 p.19)
皆さんご存じの小泉八雲著「知られぬ日本の面影」の冒頭部です。私も、今になってどれだけ後悔したことか…。松江に足を踏み入れる前に、この「知られぬ日本の面影」、特にこの冒頭だけでも読んでおけば…と。
私は生まれてからこの歳になるまで、長らく山陰に足を踏み入れる機会がありませんでした。また、幼少から地理が不得手で、山陰はもとより、生まれ育った愛媛の対岸である中国地方の5県の位置関係すらピンと来ていませんでした。幼いころは鉄道の趣味があったのですが、寝台特急「いずも」があるにもかかわらず、「でぐも」と読む始末。また、神様を迎える「出雲大社」は本州の端っこにある!と、勝手に思い込み、ある程度の年齢になるまで、出雲大社がある島根県は、本州の最西端(山口県下関市の角島あたりくらい?)にあると思いこんでいたほどでした。
そんな私がウン十年後、仕事の関係で島根県を担当することに。初めて松江に足を踏み入れた時に、初めて足を踏み入れたにもかかわらず、なぜか「懐かしさ」を感じました。街のほぼ中心に『現存天守』があり、お城を中心に街が開かれた城下町だからでしょうか?その懐かしさを感じたことがきっかけに、どんどん松江のことが好きになっていきました。
本当の故郷「愛媛」を差し置いて、魅力を感じさせる島根・松江は素敵な街です。その様な素敵な松江を、もっと知ってもらいたい。そんな思いからこのサイトを立ち上げることにしました。素人の私が、コツコツと作業をしているため、更新頻度は鈍足ですが、温かく見守ってやってください。
オープン・マインド―。素敵な言葉です。
HNについて
このサイトで、管理人の私は「小泉yakuma」と名乗らせていただきます。 祖父の名前がYaku-maでしたので、さらに小泉八雲にあやかりYakumo→Yaku-maとさせていただきました。
松江市には長期出張で約3か月間、実際に生活していた他、その後も仕事で島根県を担当しており、月に2~3度は県内に出張するという生活を送っておりました。
本家小泉八雲以上に短期間である滞在ではありましたが、瀬戸内出身の私が過ごした松江について、いろいろとまとめていきたいと思います。
いったん松江を離れてしまったため、更新は不定期、新しい情報はおろそかになるかもしれませんが、末永くおつきあいください。
管理人略歴
【~高校生】
四国・松山市生まれ。道後温泉から徒歩圏内で過ごす。遊び場は道後温泉界隈や松山城など。小・中学と、父の仕事の都合で、県内大洲市、北宇和郡三間町(現宇和島市)で過ごし、高校進学と共に、再び松山に戻る。
【大学+α】
酪農の勉強をするために北海道(江別市+札幌市)へ。動物は何でも好きで、当時、真剣に酪農家を目指したこともある。毎年夏休みは、十勝・音更町の酪農家で実習兼お手伝いをさせていただいていました。学業終了後もしばらく北海道でいろいろ学びました。
【社会人】
酪農は断念。趣味の音楽などや、好きだったデザインに使えるPCにどっぷり浸かり始める。親の体調の都合で、松山市に戻ります。
・現在の会社に入社してから、本社勤務を命ぜられ、2年ほど東京へ。
・その後、中国エリアに配属、広島県広島市に住み始める。島根県と出会う。
【現 在】
本社勤務のため東京へ…コロナのお陰でこちらに着任後、ほとんど西日本には帰省できていません…